ちょっと間が空いてしまいましたが、
以前書いた2013/2/21・司馬遼太郎『坂の上の雲』から競馬を読む。で、
書ききれなかった事を、今回は書こうと思います。
戦国時代は好きなのですが、近現代史はどうも・・・
やや苦手な分野ですが、
いろいろ調べてみて面白い事を見つけました。
『坂の上の雲』に出てくる秋山好古(日露戦争で活躍した人物)は
日露戦争以前にフランスで騎兵を学び、
帰国後は陸軍の騎兵学校長となり、日本の騎兵の育成に励んだ・・・
という話は前回しておりますが、
その秋山好古が学校長を務めた騎兵学校には
長い歴史の中で様々な人物が携わり、
歴史的に有名な人物も多数在籍していました。
1932年のロサンゼルスオリンピックの
馬術障害飛越競技の金メダリストで、第二次世界大戦に従軍、
硫黄島の戦いで戦死したバロン西こと、西竹一大佐は有名ですが、
その硫黄島の戦いを指揮した栗林忠道陸軍大将も騎兵学校の卒業生です。
その騎兵学校の卒業生の中に現在の競馬に直結する人物も含まれています。
それが「日本競馬の父」として有名な安田伊左衛門です。
彼はダービーを始め、現在のクラシックレースの原形を構築し、
日本競馬のレベルアップに努めます。
そして時は下って1951年、
安田の競馬への功績をたたえ「安田賞」が創設され、
後にそのレースは「安田記念」と称され、
春のマイル王を決定するレースとして、今日まで親しまれています。
また陸軍騎兵学校自体は東京都内から大正5年に
千葉・習志野へ移転し、馬術教育が盛んに行われ、
多くのオリンピック馬術競技の代表選手や著名人を世に送り出します。
千葉県北東部あたりは古くから馬産地として有名で、
かしわ記念のルーツとなった柏競馬場などは「東洋一」とも
言われるほど、豪華な競馬場だったようです。
現在でも馬橋・馬込沢など馬にちなんだ名称の場所が
多数存在するようです。
実際、千葉県にはJRA中山競馬場以外にも
船橋競馬場も存在していますが、
過去には前述した柏競馬場や、
戦前には松戸にも競馬場があったようです。
また少々、地域は離れますが、
春日部や取手、古河のような十数キロ圏内の近い場所にも
競馬場は存在していたようです。
今現在では馬産地と言えば北海道ですが、
身近なところにも馬産地があったのだと驚きましたし、
首都圏と呼ばれる地域に多数の競馬場があったことにも
驚きを隠せませんでした。
特に目黒競馬場は現在、住宅地になっています。
地図を見ると分かるのですが、
目黒競馬場のコーナーと直線の面影が残っているのが
ハッキリとわかります。
それに廃止になった地方競馬場は
競輪場になっていたり、運動公園になっているなど、
現在でも、わずかながらに当時の面影を辿る事ができます。
「ローマは一日にして成らず」という言葉がありますが、
競馬も一朝一夕で成り立つものではない事を改めて知りました。
司馬遼太郎『坂の上の雲』の話から、
一気に競馬まで話が繋がってしまいました。
本当の事を言えば、太平洋戦争前後の競馬の話などもしたいのですが、
それは日を改めてする事にします。
今を生きている私達のご先祖様の中にも、
競馬にアツくなった人がいるのかもしれません。